55時間の陣痛!!コロナ禍での出産・入院。緊急帝王切開までの実録!

育児・出産

私たちは大学の同級生で、在学中に交際開始し、卒業後2年で結婚、その年の暮れに第一子となる娘を出産しました。

ふぉれみは中学から社会人に至るまでバスケットボールをし、ガッチリ体型です。(笑)

昔から友人、家族にも

「安産体型」と言われ続けており、自分自身もそうだろうと思い込んできました。

実際、妊娠期間中大きなトラブルもなく、分娩担当の先生からも安産だと、産まれてもないのにお墨付きがあるくらいでした。

まさか自分が超難産で

緊急帝王切開になるとは、、、

これから出産を控えている方には、少し心配を与えるかもしれませんが、出産は十人十色。

私の出産の記録としても書き残しておきたいと思います。

出産前の期待と現実のギャップ

深夜0時ごろ、陣痛が始まりました。約2時間ほど様子を見た後、産院に連絡すると「もう少し様子を見ましょう」と言われました。

しかし、その後少量の破水があり、すぐに夫を起こして産院に向かうことに。分娩室に入り、助産師さんから「夕方には生まれるかも」と言われましたが、その言葉を聞いて「まだまだ長いな」と思ったのを覚えています。

な陣痛は少しずつ強くなり、間隔は8分ほどのまま進みました。痛みは増していましたが、まだ我慢できる程度でした。

内診を受けたところ、子宮口はまだ0.5センチしか開いておらず、陣痛開始から10時間経過しているのに進展がほとんどない状況に不安が募りました。分娩室に戻り、泣きながら夫に報告しました。

出産1日目:進まない陣痛と孤独との戦い

その日は陣痛が徐々に強くなっていきましたが、耐えられるレベルでした。ただ、子宮口の開きは夕方になっても2センチほどで停滞。

コロナ禍のため、夫は夜に一度帰宅することになり、寂しさと不安で泣いてしまいました。他の妊婦さんが使うため、私は分娩室から3階の和室に移動し、一人で過ごしました。

その夜は、犬のぬいぐるみを抱きながら陣痛の痛みに耐えました。

出産2日目:促進剤と激痛の中での耐久戦

翌朝、促進剤を使うことが決まりました。夫は子宮口が5センチ程度開くまでは来られないと言われ、さらに不安に。

分娩室へ呼ばれましたが、前日に分娩室にいた他の妊婦さんはすでに出産を終えており、自分だけが取り残されているような気持ちになりました。

促進剤が開始され、少しずつ量を増やされる中、陣痛の間隔が徐々に短くなり、3分、2分と縮まっていきます。痛みも次第に強烈になり、腰に激痛が走りました。

助産師さんの指示で息を吐くことを意識し、痛みに耐えましたが、それでも子宮口は3センチ程度しか開かず焦りが募ります。

途中、助産師さんや先生から「力を抜いて」と何度も声をかけられましたが、痛みと不安からイライラすることも。

昼頃から夕方まで子宮を緩める点滴を試しましたが、進展はほとんどありませんでした。夜に再び促進剤を使うことになり、精神的にも肉体的にも限界を感じ始めました。

夜に促進剤を中止し、翌朝再開することに。

夫も疲れ切った様子でしたが、夜中も付き添ってくれ、5分おきの陣痛に一緒に耐えてくれました。夫がテニスボールで腰を押してくれるたびに感謝と申し訳なさを感じつつ、何とか朝を迎えました。

朝、再び促進剤が開始されました。陣痛の激痛に耐えながら2時間半が経過。

先生が内診を行いましたが、子宮口は7センチ程度。その時点で陣痛開始から48時間以上が経過しており、私の白血球数が上昇し感染の兆候が出始めたことから、緊急帝王切開が決定しました。

緊急帝王切開:娘との感動の対面

その後は手術の準備が進み、開始15分で無事に元気な女の子を出産しました。

麻酔の影響で震えや不安定な状態が続きましたが、夫の支えもあり少しずつ回復していきました。

退院は破水から10日後。

入院期間中、産後の精神的不安定からか、はやく退院したくて仕方なかったです。

安産だとずっと言われていた私が、まさかこんな大変な出産を経験するとは思いませんでした。それでも、多くの人に支えられて乗り越えられたことに感謝しています。この経験を忘れず、これからも育児を頑張っていこうと思います。

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